東京ワーカーズ・コレクティブ沿革

成長期 1984年~1993年

 生活クラブ生協では1980年ICA大会のレイドロー報告に触発され、「もうひとつの働き方」「一人ひとりが主体的に出資し運営し、働き、共同で事業をすることで地域が豊かになること」を目的にワーカーズ・コレクティブ運動を展開することになった。

 東京では1984年に10団体が発足した。いずれも、生協の業務受託から始まったが、次第に業種も生活に密着した分野で拡がった。当時の特徴は下記の3点。

1 地域に密着した生活様式をもつ女性が主体。

2 雇用された労働ではなく、構成員一人ひとりはその事業の目的・経営・労働・組織運営・分配のすべてに関わり、責任を持つ。

3 現行では任意団体として発足し、法制化を要求しなければならない。

東京では、当初より各ワーカーズ・コレクティブの代表が集まり会長会を結成し、翌年の1985年には共済会も立ち上げた。その後、1989年に18団体で連合会へと改組し、1993年には事業協同組合(中小企業等組合法)として法人格を取得した。連携することにより、食材の仕入れ、保険の加入、広報や研修などを共同でおこなう体制が整えられてきて組織の基盤整理が進んだ。

 1992年にアビリティクラブたすけあい(ACT)が発足し、家事援助・介護をおこなう「たすけあいワーカーズ」を東京都の市や区で設立することとなった。

発展期 1994年~2003年

 1994年11月27日に10周年記念として「ワーカーズ・コレクティブフォーラム“94inTokyo(全水道190年参加)を開催し、下記の3項目をアピールした。

1 経営意識や人材の育成、資金面での公的サポートシステムの実現

2 個人課税の観点から配偶者についての控除や年金制度の早期見直しの実現

3 ワーカーズ・コレクティブの社会的位置づけと税制上の優遇などの法制化

また、各事業体やメンバーの実態調査や意識調査をおこない、現状の課題を把握した。

1996年~1997年にワーカーズ研究会を開催し、ワーカーズ運動の発展、ワーカーズ事業の充実と拡大のための方向性と方法、税制・法制化について議論し各種の活動も進んだ。組織の活動は4ブロック(23区南、23区北、多摩南、多摩北)、4部会(食、パン、業務受託、市・販売)でワーカーズ作り、研修会・勉強会・見学会、地域活動への積極的な参加、講師派遣などを活発におこなっていた。

 1997年10月17日には「ワーカーズ・コレクティブまつり~新しい働き方をつくろうよ」(都庁都民広場約2000人参加)をACTと共催し、一般にアピールすることができた。

 1998年11月27日に15周年のつどい「私の自立・私の選択・私の未来をもっとひろげよう!さらに深めよう!ワーカーズ・コレクティブの価値」を開催し、働き方を制限する「配偶者特別控除を廃止し、配偶者控除も段階的に廃止する・国民年金第3号保険者は保険料を支払う」の2点をアピールした。

 事務局体制の整備として、人事交流で生活クラブ生協からの人材派遣を経て、仕入れ業務及び事務局業務全般をワーカーズ・コレクティブへ委託することとなった。

 2000年には生活クラブ運動グループ・東京協議会が発足し「21世紀型機能づくり構想」の策定により新たな組織を創出し理事などとして運営にも関わるようになる。

変遷期 2004年~2013年

 時代の変遷とともに運動と事業の実践と課題、見直しを考える取り組みが行われた。生活クラブ運動グループやその他の対外的組織と連携し社会的活動が広がる。

 2004年2月7日に20周年行事(全電通労働会館シンポジュウム165名パーティ116名参加)を開催し、ワーカーズ・コレクティブの歴史や互いの事業を再確認し深く理解する機会となった。また、パーティーは、初めてワーカーズ・コレクティブの料理で行い、実力をアピールした。

 個々のワーカーズ・コレクティブの解散・廃業・脱退が頻発した。

 2009年10月3日に25周年記念イベント(調布市たづくり175名参加)を開催し、働きがいをテーマに、これまでの働く人の協同組合の成果とこれからのワーカーズ・コレクティブ運動の拡大と事業継続発展にむけて、共済会と共にアピールした。

 2007年よりワーカーズ・コレクティブネットワークジャパン(以下WNJ)の活動を通して「協同労働の協同組合法(ワーカーズ協同組合法)」制定への法制化運動の活動が進んだが、2011年の東日本大震災を機に政変もあり、とん挫している。

 被災地支援は、ワーカーズ・コレクティブができることについて考え、活動が進められている。